作者マーク・トウェインの南北戦争従軍時代に注目してみたいと思います。
「マーク・トウェインの南北戦争」
ヴァージニア軍事研究所のデイビッド・レイチェルズ英教授の記事(Mark Twain's Civil War)
「南北戦争が1861年に始まったとき、トウェインはミシシッピ川の水先人を失業していた。
この重要な商業動脈に沿った交通が停止したのだ。
部隊から西方へ立ち去る前、トウェインは2週間ミズーリ州民兵(南軍)を務めた。
トウェインの人気は彼が州の軍事的責任から逃げ出したのが理由であるとの臆測が流れた。
これらの質問に答えるために、南北戦争におけるトウェインのコメントや文章を収集することは
間違いではないが、1つの量で彼の見解に影響を与えないことが不可欠であった。
1872年の西部旅行で、彼は「Roughing it」の中で戦争運動の資金を集めている
金持ちの西国人(西部地方の人)について書いた。
5年後、トウェインはアメリカ最古の陣形、マサチューセッツ州古名誉砲兵中隊(1638年設立)に参加した。
彼の軍務については非常に曖昧だが、彼はミズーリ州の田舎から志願した新軍の弱点について
ユーモアを交えながら記述している。 それは、彼がボルチモア退役軍人協会連盟
(the Union Veterans Association of Baltimore)の任務を辞めた1887年までではない。
おそらく、トウェインの南北戦争への最も重要な貢献は、
ユリシーズ・S・グラント将軍の個人回顧録を発表したことだろう。
「マーク·トウェインはどんなふうに南北戦争の影響を受けましたか?」(en)
トウェインが語った従軍時のこと
「戦争が始まったころの2週間、私は兵士でずっとネズミのように追われていた。
聞いたことないか? 私の偉大なるキップリング(Rudyard Kipling, ノーベル文学賞受賞者)
自身は、戦場の未熟な兵士であった最初の2週間で、最も驚異的な2週間で、さらに燃え尽き、
人生経験を積んでたくましくなり、そして、何の疑いもなく、忍び寄る地獄と青白い馬の死とともに
記憶にとどめた。彼がこれまでに見たような、実に猛烈な2週間で最も鮮明なものを」(en)
南北戦争について語ったこと
「数世紀続いた制度は根こそぎにされた。国を半分の社会生活を一変させ、
その影響が、2、3世代の短い尺度であるはずがない全国民性を深く深く鍛造した」(en)
南北戦争は1865年まで続きますが、トウェインは長期間従軍しませんでした。
疲労困憊で除隊、あるいは途中で脱走したという話もあります。 階級は少尉でした。
父は莫大な負債を残して死に、1858年6月の蒸気船ペンシルヴァニア号爆発事故で
弟ヘンリーを亡くしています。
(トウェインも乗る予定だったが、別の仕事が入った為助かった)
マーク・トウェイン(サミュエル・クレメンス)1909年 トーマス・エジソン撮影
一つのきっかけがあったような気がしました。
彼の明るい氷山の底部に隠された大きな部分こそが、彼の本性と言えるのかもしれません。
(個人的な感想としてね)
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